<校歌>    
 

 
   <校歌制定の前後>    鷹下昭一(昭和28年〜34年在職)

 原爆で壊滅した学校が焦土のなかから再建された後,しばらくたって校歌を作ろうという話がでたのではないかと思われる。以前校歌があったのか,あったとすればどんな歌詞でどんな旋律だったのか,現在でも不明である。

 昭和27・8年に急速に校歌制定の話が現実味を帯びてきた。当時広島市立基町高等学校教諭であった増広卓三先生の紹介で,歌詞を広島市教育委員会指導課長田中浩造先生に,作曲を作曲家中田喜直氏(当時も現在もよく歌われている「雪の降る町」「夏の思い出」の作曲者)に依頼することになり,昭和28年11月に完成した。

 この校歌が発表された時「歌詞が平明でしかも旋律が美しい。」との言葉がささやかれ,校歌制定に尽力された故中野繁美校長先生も非常に喜ばれた。
 
 以後,今日まで子どもたちに親しまれ歌い継がれている。

                              (創立100周年記念誌より)

                      

     

Copyright(C) 2002 Nakajima Elementary School All Rights Reserved.
update:2004.11