なかじまちく・ちずでみると


 中島地区は、元安川(もとやすがわ)と本川にかこまれたデルタにあり、中島本町天神(てんじん)材木(ざいもく)元柳(もとやなぎ)木挽(こびき)中島新町水主(かこ)などがありました。

 橋がちかくにあり、人々の生活にとけこんでいました。

 被爆
(ひばく)前のおもなたて物としては、中島集産場(しゅうさんじょう)、中島勧商場(かんしょうじょう)、公設市場(こうせついちば)、県庁(けんちょう)、県病院、中島国民学校のほか、慈仙(じせん)寺、誓願(せいがん)寺などの寺社がありました。

 被爆時の7町の住民は、合計で6,500人くらいとされています。


 
羽衣、吉島町あたりには、桐(きり)のげたがつまれ、吉島おきの飛行場(ひこうじょう)ではオートジャイロが発着(はっちゃく)していました。
ひばくまえのなかじまちくしゅうへんず   
被爆前の中島地区周辺図