原爆ドーム
1996年、ユネスコが世界遺産に登録した原爆ドームは、核兵器廃絶、ノー・モア・ヒロシマのシンボルです。
チェコの建築家ヤン・レツルの設計のこの建物は、産業奨励館として広島県の産物などを陳列したり、美術展覧会・博覧会が開かれたりしていました。
1915年(大正4年)8月5日に開館したこの建物は、30年後の8月6日に原爆にあいます。上空600メートルでさく裂した原爆で屋根は抜け、爆風にさらされながらも倒れずに残った貴重な被爆遺跡です。
戦争末期は、館内の展示も少なくなり、内務省中国・四国土木出張所や木材関係の統制組合事務所として使われていました。
広島の街が復興するにつれて、もう原爆ドームはいらない、という声も出ましたが、市が行った世論調査では62%の人が保存を望みました。
1966年に市議会で永久保存が決議されました。その時の補修にあたっての募金では、工事費の1・5倍の6900万円の浄財が寄せられ、保存への人々の熱意が重ねて明らかにされました。
20年後、再び補強工事が行われたときには総工費2億円のうち1億円を募金目とにしたら、またたく間に4億円以上の募金が寄せられました。
「原爆ドーム物語 汐文社」
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