原爆の子の像
![]() |
![]() |
佐々木禎子さんは2歳で被爆し、、被爆10年後の小学校6年生のとき、亜急性リンパ腺白血病を発病します。治療のかいなく亡くなってしまいます。佐々木禎子(さだこ)さんの死をきっかけに、中学生たちが取り組んで建設した像です。 これを建てた中学生たちは、禎子さんがよくなるよう願い、また、平和な世界への期待を込めて鶴を折り続け、はげまし続けました。 しかし、禎子さんは亡くなってしまいます。悲しみのなかで同級生たちは、中学1年生で死んでいった禎子さんの死を忘れないために像を建てようと思い立ったのです。そして、原爆で死んだのは禎子さんだけではない、原爆で死んだすべての中学生や女学生、子どもたちの像を建てようとふみだしました。話し合い、募金をよびかけました。それは、全国へと広がっていきました。 折り鶴を高く掲げて空を見上げている少女の像の除幕式が行われたのは、1958年5月5日(子どもの日)でした。 像の周囲には、修学旅行で訪れる子どもたちが折ってきた千羽鶴や寄せ書きが絶えることなく積み上げられています。 原爆の子の像は、核兵器はいらないという子どもたちの願いを、世界にうったえています。アメリカでも、原爆が開発されたロスアラモス近郊の子どもたちが、被爆50周年を記念して、この像の姉妹像を建設し、話題を呼んでいます。 こうした運動の広がりを予見するかのように、像の下には、子どもたちが除幕式で読み上げた「誓いの言葉」の一部が黒御影石に刻みこまれています。 「これは僕らの叫びです。これは私たちの祈りです。世界に平和を築くための」 慰霊祭は、毎年中学生の手で行われています。→原爆の子の像・慰霊祭 |