平和公園
      (今の航空写真)

       

  平和公園は、戦前はにぎやかな街でした。
        (大正末期の航空写真)

      

 1945年8月6日、一瞬にして街は焼け破壊されてしまいました。

 そのころ、建物疎開(建物疎開の項をみて下さい)が行われており、今の平和公園あたりもそれに当たっていたため、すでに疎開をしていた人もいましたし、夜は、疎開先に行き昼間は家に帰って仕事をする人もいました。
 また、建物疎開の仕事をするためにこのあたりに来ていた人もいました。

 1945年8月6日8時15分に、何人の人がここにいたかは、いまだに分かっていません。

 建物も、人も、植物もここにいたもの全てが破壊されたのです。

 戦後すぐに、爆心地を公園にし永久に原爆のことを語り継いでいくことが提案されました。国に働きかけたり、住民投票をしたりして、平和都市建設法が制定され、今の平和公園がつくられたのです。

 戦後、この地に帰り着いてバラックをたて生活を始めていた人が、公園にするため再度立ち退きをさせられたことを忘れてはいけません。

  (戦後のバラックの写真 他で使われていないもの)

      

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