市立高等女学校慰霊碑



ひざまずく3人の少女。

 真ん中の少女は動員当時のはち巻きにモンペすがたで、亡くなったことを象徴するようにその背には天使の翼がつけられています。

 左右の少女は、スカート姿で、今を生きる人々を表しています。1人は花輪を持ち、もう1人は平和の象徴はとを手にし、亡くなった少女をなぐさめています。

 「現在」の少女がなくなった少女をなぐさめるこの図柄だけのこの碑には、「原爆」「慰霊」の文字はありません。

 
 
真ん中の少女が両手にかかえている箱の表面に、「E=MC 」とアインシュタインのとの相対性原理からとられた原子力エネルギーの公式が彫られているだけです。原爆の文字が使えないため、湯川秀樹博士のアイデアのもとづいて工夫されたといいます。

1948年の3周忌を記念して遺族会の手で「平和塔」として校内に建てられました。しかしGHQの考えもあって、一時、戸坂のお寺「時明院」に移さなくてはなりませんでした。しかも、少女たちを描いた表側が見えないように、かべに向かって建てられていたといいます。

 生徒たちが被爆したこの場所に、郊外のお寺から碑が移設されたのは、サンフランシスコ講和条約後の1959年のことでした。

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