元安橋

                         

  広島の旧市内には七つの川(現在は六つ)が流れていました。

 その本流の太田川が最後に分かれて、新しいデルタをつくるのがT字型の相生橋の下です。

 平和公園の東側、原爆ドームに沿って流れる元安川、反対の西側を流れているのが本川と呼ばれています。

 元安川にかけられているのが、元安橋です。

 平和公園に向かって橋のたもとに立てば、そのすぐ下手に、写真入りの説明板があります。そして、写真には裸になった元安橋とその向こう(平和公園のたもと)に建物が黒く写っているのがわかります。

 建物は、爆心地から二番目に近い被爆遺跡、レストハウス(元大正屋呉服店)です。 元安橋も長く遺跡として大切にされてきましたが、数年前急に架け替えられ、昔の面影を残しているのは、今では欄干の途中にいくつかはめ込まれてい
る灯籠だけになってしまいました。

   その石灯籠の色を見ながら橋を渡ると、向こう岸(現平和公園)は、江戸時代から栄えた広島の中心街でした。
 宇品港に入った船の荷を積んで上がってくる伝馬船や帆掛け船、川上からは材木や農産物を運んでくるいかだや小舟があり、漁船、かき舟なども行き交っていたものです。

   そのにぎわいを見続けてきた元安橋は,子どもたちが泳ぎたわむれた川や橋ですが、今ではその面影を失ってしまいました。
 被爆のあと、「家が焼ける……子どもが焼ける……」と半狂乱になりながら、燃え上がる中島本町に飛び込んでいく女の人の姿を見かけたという証言(『原爆爆心地』)もある橋です。

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