峠 三吉 詩碑
「ちちをかえせ ははをかえせ
としよりを かえせ....」
と、刻まれたこの碑は、1953年3月10日に亡くなった峠三吉を記念して建てられたものです
峠三吉は、1917年生まれ。
峠三吉は、碑が面している南東約3キロの自宅で被爆しました。 その時は、ガラス破片によるけがでしたが、親せきや、知人を探して市内を歩き回ったため原爆症にかかり9月まで入院しました。
原爆を体験し、原爆は絶対許せないものと強く思った峠三吉は、原水爆禁止運動の先頭に立つようになります。1949年「われらの詩の会」を結成し、原爆反対や平和を求める作品を次々と発表していきました。
1950年朝鮮戦争が始まりました。10月、トルーマン米大統領が「朝鮮での原爆使用もありうる」と声明すると、峠三吉は、すぐに『原爆詩集』を発行することを決意しました。そのころ、峠三吉は結核にかかっていました。西条国立療養所で、かっ血しながら詩を書きました。そして、1951年ガリ版刷りの『原爆詩集』を、非公然に出版しました。「ちちをかえせ ははをかえせとしよりを かえせ....」は、この詩集の序として書かれたものです。
峠三吉は、「原爆の実態を明らかにするには、もっと、壮大な原爆叙事詩を書かなければならない。それには、健康な体が必要」と、手術をと受けることを決意しました。しかし、その願いは達成されませんでした。力つきて手術台の上で36年の生涯を閉じたのです。
この碑は、峠三吉の意志を引きつごうと「平和のための文化会議」が呼びかけて1963年に、建設されたものです。デザインは、画家の四国五郎さんです。
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