材木町跡の碑

街の名前がかろうじて見える碑
 
よくさがさないと見過ごしてしまいそうなくらいひっそりとした碑です。

 しかし,この碑は,まぎれもなくここに街があったということを示しています。

 当時,材木町には750人余りの人々が住んでいました。
 このあたりは,建物疎開がされており,建物作業にかり出された人々が道路上にしきつめたようにたおれており足のふみばもなかったほどだと伝えられています。このあたりで,生徒を防火用水に入れ,自分の体でおおいかぶさり死んでいた先生が見つかったそうです。
     

    材木町での被爆の絵

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