県立第二中学校慰霊碑

 1945年8月6日の朝、動員された二中の子どもたちは、本川を背に横隊に整列して点呼や作業の指示などを受けていました。「あっ、飛行機」と高度一万メートルで飛んできた爆撃機に気がついた生徒もいましたが、おどろくこともなく「落下傘が落ちてくる」と空を見上げる生徒もいました。
 そのため、真っ正面から原爆を受け、熱戦に焼かれ、爆風でとばされ、くずれた建物にうまってしまったのです。
 「にげるのは、川だ」と、言う先生のとっさのさけび声で川に飛びこみ流されていった生徒たちもたくさんいました。
    碑の裏面                                こんなにたくさんの人が一度に

 この碑の場所に343名いたという二中の生徒のうち、何人がこの瞬間を生き延びたかはっきりわかっていません。
 遺族の証言によれば、三分の一が即死、その他は川の中や避難の途中でなくなったり、やっと家にたどり着いたにもかかわらず、やけどや放射線障害でつぎつぎになくなったりして数日後には全員なくなったということです。
 被爆の時のようすは、なんとか家にたどり着いた生徒たちの話によるものです。

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