義勇隊の碑

 旧安佐郡川内村温井部落(現広島市安佐南区)の義勇隊員の碑です。                    
  1945年8月6日、建物疎開に動員されていてこの場所で全滅したことを追悼してたてられたものです。
 碑には、原爆犠牲者を追悼するものであるということは何一つかかれていません。それは、原爆被災の実態を語ることが難しかった時代の反映です。後から、説明板が付け足されています.

 広島菜で有名な川内村はこの本川を8キロメートルほど北にさかのぼったところです。
 あの朝、動員され、被爆し、一瞬にして消えていった174人の人たち。
「この仕事が終わったら、早く帰って家の仕事をしなけりゃいけんぞ」
「畑の草取りもまっとるわい」
などと 話をして、出かけてこられたでしょう。
 しかし、二度と川内村へは帰ることができなかったのです。
 残された家族の戦後も、また苦しみがいっぱいでした。
 また、動員されたのは、川内村だけでなかったのです。近くの村から、職場から、たくさんの人が動員されていました。原爆にあったというだけで、白い目でみられたり、のけ者にされたりするので、役場の調査でも、正確な数字がわからなかったからです。

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