まちのひとびとの せいかつ
戦争(せんそう)がはじまると、中島本町、天神(てんじん)町などの旅館(りょかん)にはたくさんの軍人さんがとまるようになりました。お寺も兵隊(へいたい)さんがとまるようになり、それまでで子どもたちのあそび場だったお寺のけいだいは兵隊さんであふれ、遊ぶことができなくなりました。 町内では、はたをふりながら、「ばんざい」「ばんざい」の声で戦争に行く人を見おくりました。また、防空訓練(ぼうくうくんれん)をしたり、それぞれの家のゆか下に防空ごうをほったりして空しゅうにそなえました。 やがて、戦争がはげしくなると、食べるものはもちろん、ほとんどの日用品(にちようひん)が不足してきました。子どもたちは、おなかをすかせていました。しかし、「ほしがりません、かつまでは」とがんばっていました。また、兵器(へいき)をつくるために、各家庭から金物(かなもの)が集められました。なべ・かまはもちろん、学生服のボタンまで出して、戦争のために使われました。 |
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